ゼロから始める“クトゥルフ神話” 第6回:這い寄る混沌 ニャルラトホテプ

2018-05-03 18:00 投稿

ニャルラトホテプとは

クトゥルフ神話で有名な神と言えば、クトゥルフに続いて、這い寄る混沌ニャルラトホテプ(ナイアルラトホテプとも)を思い浮かべる人が多いだろう。

アニメ化されたライトノベル『這いよれ!ニャル子さん』で有名となった邪神で、千の異形を持ち、“這い寄る混沌”、“暗黒の男”、“ブラック・ファラオ”、“無貌の神”、“強壮なる使者”、“闇の跳梁者”、“闇に吠える者”など多数の異名を持つ、変幻自在の存在である。

人類の存在など理解もしない邪神たちの中にあって、ニャルラトホテプは、人類の存在を理解し、利用しようとする特異な存在である。人間に変身することもでき、何度も人類の歴史に介入し、旧神の封印から旧支配者と呼ばれる邪神たちを復活させるべく暗躍してきた。

その外見は、古代エジプト風の装束を着た浅黒い肌の男として出てくることが多いが、二つ名の多さからも察せられる通り、やはり無数の異形の姿を持っている。たとえば、夜空を飛ぶ3つ目の魔王や月に吼える顔のない怪物、顔のないスフィンクス、浅黒い肌をした神父、獣などだ。

ニャルラトホテプはラヴクラフトが生み出した邪神であるが、その存在は、ラヴクラフトの盟友であったロバート・ブロックやオーガスト・ダーレスによってより印象的な存在へと昇華され、肉付けされ、クトゥルフ神話でもメジャーな神として確立されていったのだ。

今回ここでは、そんなニャルラトホテプがどのようにして生まれ育ったのか、源泉からその足取りを辿っていこう。

その誕生は一夜の夢『ニャルラトホテプ』

神性・ニャルラトホテプが初めて登場した著作『ニャルラトホテプ』は、1920年の年末にラヴクラフト自身が見た一夜の夢を書き留めて著された散文詩である。掲載は、アマチュア創作の同人誌『ユナイテッド・アマチュア』1920年11月号。

これが一般の目にも触れるようになったのは、ラヴクラフトの死後である1943年のこと。オーガスト・ダーレスらが立ち上げた出版社、アーカムハウスが短篇集『眠りの壁の彼方に』を刊行した際に収録されたのが契機となっている。

ラヴクラフトは、科学が好きな理論派である反面、幼少のころより夢見がちで、夢をテーマにした作品を多々書いてきた。これは『クトゥルフの呼び声』でもそうであった。

『ニャルラトホテプ』は、ラヴクラフトが夢から目覚めた直後、半覚醒状態のまま一気に書き上げた作品。頭がはっきりしてから見直した結果、じつに首尾一貫していたため、ラヴクラフトはわずかに三語を修正した後、最後の段落を加筆して完成させたという逸話もある。

魔女の家の夢:魔女物と数学SFの融合

ラヴクラフト作品の中で、上記のほか、ニャルラトホテプに関わる代表的な作品が3作あるが、それぞれに登場するニャルラトホテプの姿はまったく異なる。中でも特徴的なのは『魔女の家の夢』だろう。

『魔女の家の夢』は、セイレムの魔女伝説を題材に、舞台を架空の街アーカムに移し代えた『魔女物語』系統のホラー作品である。

『魔女の家の夢』の舞台となるアーカムは、ラヴクラフトが長年住んだプロヴィデンスと、ボストン郊外にある小さな街セイレムを合体させて創り上げられた架空の街。ラヴクラフトは、これら地域から感じられる古き良き時代の英国に憧れを抱いていたのだ。

ちなみに、北大西洋に面するボストン周辺、プロヴィデンスやセイレムなどがある地域は、イギリスから来た初期の植民者たちが植民地を築いた地域で、17世紀には魔女狩りなども行われたり(セイレムの魔女裁判)もした地域。いまでは当時の英国の風情を残している点や、建物(町並み)が英国風であることからニューイングランドとも呼ばれている。

『Fate/Grand Order』のイベントで“セイレムの魔女裁判”とクトゥルフ神話が結び付けられるのは、ラヴクラフトが『魔女の家の夢』などいくつかの作品で、セイレムの魔女の末裔を登場させているからだと思われる。

話を本筋に戻そう。ラヴクラフトは、ある時期から、よくある伝奇ホラーに独自の神話要素を混入させ、“世界観のズレ”を持って読者を不安にさせていくという技法をよく用いるようになった。

『魔女の家の夢』は、一見オーソドックスな魔女物のように見えるが、“奇妙な角度”など、科学好きのラヴクラフトならではの科学用語が散りばめられており、また一方で、魔女の信仰対象としてクトゥルフ神話における邪神の総帥、アザトースと、その使者である“暗黒の男”ニャルラトホテプを登場させている。

このようにして、古代から現代にいたる地球の文明や文化にクトゥルフ神話の設定を織り込んでいくのは、ラヴクラフトの得意技であり、この時期のSFやファンタジーの中で流行していた技法のひとつでもあった。

闇にさまよう者:ラヴクラフト最後の作品

ニャルラトホテプが登場するもうひとつの作品『闇にさまよう者』は、ラヴクラフト最後の作品である。

『闇にさまよう者』のあらすじ

古都プロヴィデンスに移り住んだ若きホラー作家ロバート・ブレイクは、作品執筆に行き詰まり、町を散策するうちに、廃棄されたフェデラル・ヒルの教会にたどり着く。

入り込んだ教会の中で発見したノートから、そこが邪教“星の智慧教団”であることを知る。彼が塔の上で発見した異形の宝玉こそが、宇宙からもたらされた“輝くトラペゾヘドロン”であり、これを覗き込むことにより、異世界から邪神ニャルラトホテプを召喚することができるのである。

主人公であるブレイクは何かに引き寄せられるように、教会へ入り込み、輝くトラペゾヘドロンを発見してしまったために、闇の中で恐怖の死を迎えることになる。

なお、本作はクトゥルフ神話の形成の過程を語る上で、非常に重要な作品だ。本作は、ラヴクラフトを師と仰ぐ若きホラー作家、ロバート・ブロックとの友情から誕生したものだからである。

なお、ブロック自身もデビュー後にニャルラトホテプを題材にした『無貌の神』、『黒いファラオの神殿』などを書いている。

連載第3回でも記している通り、ラヴクラフトの薫陶を受けたブロックは、ある日、師であるラヴクラフトをモデルにした小説を書こうとし、作中でその人物を怪物に殺させようと思い付く。そしてラヴクラフトはこれを快諾。

『星から訪れたもの』の作中で、ラヴクラフトとおぼしき“ニューイングランド在住の神秘的な夢見人”を登場させ、殺害したのはこのためである。

なお、ラヴクラフトはこの作品を非常におもしろがり、お返しにブロックを作中で殺すことに決め、『闇にさまよう者』を書き上げたのだ。

その2年後、ラヴクラフトが病死。それが契機となったのかは知るところではないが、ブロックはそのあたりから一時的にクトゥルフ神話とは距離を置くこととなる。

しかしそれから15年経った1950年、ブロックは突如として『闇にさまよう者』の続編である『尖塔の影』を発表。そして、この作品にももちろんニャルラトホテプは登場し、世界の破滅へ向かう策謀を演じた。ニャルラトホテプの化身である“黒い人”のイメージが形成されたのは、この作品がきっかけとなっている。

そしてまた20年以上の時が流れ、みずからの晩年が近いことを察したブロックは、1979年、クトゥルフ神話の総決算というべき、『アーカム計画』を発表する。

この物語の中は『闇にさまよう者』、『尖塔の影』の続編とも言える作品で、ブロックは『闇にさまよう者』で描かれた星の智慧教団を率いる司祭ナイ神父を登場させた。ナイ神父は、その名前の通り、ニャルラトホテプの化身のひとりで、本作中では邪神復活を目指して邪悪な策謀をくり広げるている。

未知なるカダスを夢に求めて

もうひとつ、ニャルラトホテプのイメージを作ったのが、ラヴクラフトとしては非常に珍しい異世界冒険ファンタジーである『未知なるカダスを夢に求めて』である。

デビュー前、ラヴクラフトは英国幻想小説の大家、ロード・ダンセイニの作品と出会い、大いに影響を受けた。ダンセイニ風の初期作品を総決算する形で書かれた作品が本作で、夢の世界『幻夢境(ドリームランド)』で、ラヴクラフトの分身ともいうべきランドルフ・カーターが大冒険するというストーリーになっている。

幻夢境の黒幕であるニャルラトホテプは、黄金のファラオの装束で出現し、このように言う。

「二度とふたたび千なる異形のわれに出会わぬことを宇宙に祈るがよい。(中略)われこそは這い寄る混沌、ニャルラトホテプなれば」

このように、ラヴクラフトはニャルラトホテプを夢で見出し、そこにさまざまな姿を与えた。それによって、ニャルラトホテプは無数の姿を持つトリックスターとなったのである。

ニャルラトホテプはこのように過去から現在へと進むに連れ、多くの姿を獲得した珍しい神の一柱。そしてその背景にはこうした作家たちの挑戦や遊び心が存在しているのだ。

文:朱鷺田祐介

【朱鷺田祐介(ときた・ゆうすけ)】

TRPGデザイナー。代表作『深淵第二版』、『クトゥルフ神話TRPG比叡山炎上』。翻訳に『エクリプス・フェイズ』、『シャドウラン20th AnniversaryEdition』。2004年『クトゥルフ神話ガイドブック』より『クトゥルフ神話』の紹介を始め、『クトゥルフ神話超入門』などを担当し、ここ数年は毎年、ラヴクラフト聖誕祭(8月20日)および邪神忌(3月15日)に合わせたイベントを森瀬繚氏と共同開催している。

 
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