ゼロから始める“クトゥルフ神話” 第2回:夢見る人、ラヴクラフト

2018-04-05 18:00 投稿

クトゥルフ神話の創始者、ラヴクラフト

クトゥルフ神話を語るなら、まず、その生みの親というべきラヴクラフトの話をするべきだろう。名前はハワード・フィリップス・ラヴクラフト。しばしばHPLと略称で呼ばれ、自身も手紙にそうサインしている。

Cthulhu
Title: Cthulhu by BeyonderGodOmnipotent

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

▲この作品は クリエイティブ・コモンズ 表示 – 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。

クトゥルフが好きな人でも、ラヴクラフトのことを名前しか知らないという人は多いようだ。彼のことを知ってクトゥルフに対する価値観が変わるかと言われれば、それは人ぞれぞれとしか言いようがないが、創始者である彼について知っておいて損はないだろう。

なので、今回は彼という人間を簡単に紹介していこうと思う。

ラヴクラフト略歴

1890年8月20日、アメリカ北東岸、ロード・アイランド州プロヴィデンスで生まれたラヴクラフトは、父の入院を契機に、プロヴィデンスに住む母方の祖父である裕福な実業家フィップル・フィリップスの屋敷に移り住み、幼少時を過ごす。

ラヴクラフトは祖父の書庫で本に親しんだことから、6歳から小説を書き始める。だが、その幸せな時代は長続きしなかった。ラブクラフトが小学生のころ、祖父が事業に失敗し、失意の中で急死したため、ラヴクラフトは母とふたりで小さなアパートに移り住むことになる。

そしてその後、興味を科学に移したラヴクラフトは、地元の新聞に科学記事を寄稿したり、天文学情報をまとめた新聞を発行したりもしたという。

10代の半ばから、ラヴクラフトは神経を病んで高校を辞め、引きこもる時期を過ごすことになるが、20代半ば、愛読する雑誌の読者投稿欄に投稿を始め、そこでの常連と議論したことをきっかけに、アマチュア創作のコミュニティ(アマチュア・ジャーナリズムという)に出逢い、創作を再開する。

1923年、ホラー小説やファンタジーを専門とするパルプ雑誌『ウィアード・テイルズ』が創刊されると、ラヴクラフトは『ダゴン』など5編を送り、そのすべてが採用された。

以降、ラヴクラフトは『ウィアード・テイルズ』を中心に、オリジナルの人工神話に基づくSF色の強いモダンホラーや幻想恐怖小説を発表する。『クトゥルフの呼び声』、『狂気の山脈にて』、『インスマウスの影』などはその代表作である。

1924年には、アマチュア・ジャーナリズムを通じて出会った年上の女性“ソーニャ・ハフト・グリーン”と結婚し、ニューヨークに移り住むも、経済的理由で別居。その後ラヴクラフトはプロヴィデンスに戻って以降独身を貫き、1937年に病死した。彼の最後の作品は1935年に執筆された『闇をさまよう者』となった。

ラヴクラフトは当時、雑誌に作品を発表する傍ら、添削や代筆で生計を立てていたが、寡作で中編・短編が多く、生前に出た本はただ一冊のみ。現在彼の本として流通しているその多くは、彼の死後、その業績を惜しんだ年下の友人、オーガスト・ダーレスらが出版社アーカム・ハウスを創設し、出版したものとなる。

唯物論と夢見る人

ラヴクラフトは、『クトゥルフ神話』という神話を代表作としているものの、彼自身は唯物論者を自称し、神の存在を否定していた。

アマチュア時代の初期こそ、夢見るような異世界ファンタジーをいくつか書いているが、その後、新しい恐怖小説を目指して現代を舞台にしたSFホラー作品を書くようになる。ここで積極的に、新しい題材を取り入れた疑似ドキュメンタリー的な手法を多用している。

彼の作品の中に、南極探検、関東大震災、太平洋に沈んだ超古代文明などを題材とした作品が目立って存在する理由は、1920年代から1930年代かけて活躍したラヴクラフトにとって、それらがまさに当時インパクトのある最新の話題であったということだろう。

唯物論者を自称する一方で、ラヴクラフトは自分の感性に縛られた人でもあった。彼の創作では、彼自身の体験が不可欠であったからだ。

たとえば、短編『ニャルラトホテプ』は、彼が見た夢がそのまま作品になっており、また同じく短編の『レッドフックの恐怖』では、ソーニャと別居した後、自分がニューヨークでの生活体験の中で感じたものを恐怖として描いている。一見、完全な創作に見えても、多くの場所や場面にイメージのもととなる体験があったのだ。

たとえば、『魔女の家の夢』のモデルはセイラムにあるナサニエル・ホーンソンに関する実在の屋敷であり、『闇をさまようもの』の舞台はラヴクラフトが愛した古都プロヴィデンスであり、そして『魔宴』の舞台・キングズポートは友人と旅したマーブルヘッドがモデルとなっている。

ラヴクラフトが夢にこだわっていたことは、『クトゥルフの呼び声』で邪神の精神波に感応した人々が奇々怪々な巨石都市を夢見ることからも推察できる。

そう考えると、自伝的な作品『銀の鍵』で、作者の分身とも言えるランドルフ・カーターが思い出の銀の鍵を使って、夢見る力を取り戻すのは当然の流れと言えるだろう(この結果、銀の鍵はクトゥルフ神話アイテムのひとつになる)。

じつは活発な交流者だったラヴクラフト

よく、ラヴクラフトは変わり者の隠遁者のように言われる。

確かにハイスクールからドロップアウトし、引きこもっていた時期もあるが、実際に出会った人々によれば、彼は非常に話し好きで、礼儀正しく印象的な人物だったという。

ではなぜそのようなイメージが付いたのかというと、彼自身が文通の際や投稿などで自身を老いた隠遁者と自称し、そのように演出していたからだろう。

ラヴクラフトの伝記や研究によると、20代後半、アマチュア・ジャーナリズム運動(いわゆるアマチュアの小説創作)に出会ったラヴクラフトは積極的にこの活動に参加し、ユナイテッド・アマチュア・プレス・アソシエーションの批評委員を務め、会長職についたこともある。

彼は非常に多くの手紙を書き、はたまた、自分の作品を友人に送りつけて読んでもらうことが多かったが、それはこうしたアマチュア・ジャーナリズム時代の習慣や1920年代という時代性もある。アメリカの近代文学研究では、ラヴクラフトをアマチュア・ジャーナリズム運動の巨人として評価するシーンもある。

以上が、ラヴクラフトという人物の簡単な紹介となる。これを読んで「イメージと違った」と思う人もいれば、「イメージ通りだった」と思う人もいるだろう。

どうあれ、この人物がいまの世にも影響を与える創作神話の生みの親である。では、彼はその後世界に、具体的にどのような影響を与えたのだろうか?

それについては次回“作家たちの饗宴”で語るとしよう。

※2018年4月5日19時55分:記事内容に一部誤りがあったため修正を行いました。お騒がせ致しました。

第3回:作家たちの饗宴>>

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文:朱鷺田祐介

【朱鷺田祐介(ときた・ゆうすけ)】

TRPGデザイナー。代表作『深淵第二版』、『クトゥルフ神話TRPG比叡山炎上』。翻訳に『エクリプス・フェイズ』、『シャドウラン20th AnniversaryEdition』。2004年『クトゥルフ神話ガイドブック』より『クトゥルフ神話』の紹介を始め、『クトゥルフ神話超入門』などを担当し、ここ数年は毎年、ラヴクラフト聖誕祭(8月20日)および邪神忌(3月15日)に合わせたイベントを森瀬繚氏と共同開催している。

 
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