ゼロから始める“クトゥルフ神話” 第7回:魔道書ネクロノミコン
2018-05-10 18:00 投稿
魔道書ネクロノミコン
ファミ通App読者ならば、魔道書“ネクロノミコン”という言葉を聞いたことがあるだろう。だが、じつはこれがクトゥルフ神話から生まれたアイテムであることを知っている人は少ないと思う。“ネクロノミコン”とは、H・P・ラヴクラフトが作り出した架空の書物なのだ。
ここでは、そのネクロノミコンに焦点を当ててみよう。
ちなみにネクロノミコンとは、クトゥルフ神話に関する情報が書かれた魔術書(グリモワール)であり、それらは読むだけで精神を消耗させられるという。
しかし、手に入れられれば、忌まわしき古代の邪神に関する知識が手に入り、邪神を召喚したり、あるいは退去させたりする術を学べるようになる、強大な力を持った魔道書なのである。
ラヴクラフトが残した創作メモ“ネクロノミコンの歴史”によると、ネクロノミコンは以下のような設定のもと作られたアイテムであるようだ。
紀元700年代のウマイア朝時代に活躍した“サナア狂える詩人”アブドゥル・アルハザードが書き残した禁断の書物。原題は“アル・アジフ”といい、魔物の吼える音と恐れる夜の音(昆虫の鳴く声)をアラビア人が表したものだという。
アルハザードは中東の奇妙な場所を点々と旅してそこで知った禁断の知識をここに書き連ねたが、紀元738年、ダマスカスの日中の路上で、悍ましい死を迎えた。何も見えない空中に持ち上げられ、何かに貪り食われたともいう話も。
そして紀元950年、コンスタンティノープルのテオドラス・フィレタスによって“ネクロノミコン”という表題でギリシア語訳され、1228年にはオラウス・ウォルミウスがラテン語訳を行った。
その後、何度も焚書されたが、知られざれる禁断の書物としてわずかな数が生き残っており、それらは数箇所の大学や博物館が秘蔵。その中には大英博物館やミスカトニック大学図書館といった有名な図書館も名を連ねているとか。
物語たちをクトゥルフ神話に繋ぐ鍵
“ネクロノミコン”は、クトゥルフ神話作品の世界観をよく表したギミック(仕掛け)と言える。
たとえば、クトゥルフ神話はひとつの作品でその体を成すものではなく、多くの作家がそこに参加して大系が作られる創作神話である。そのため、独立した別々の作品が多々存在しているという話は、過去連載でも著した通りだ。
そして、この独立した別々の作品たちに“ネクロノミコン”という架空の魔道書への言及を加え、緩やかな関係性を与えることで、それらはクトゥルフ神話という世界観を共有しているのである。
それぞれの作品では矛盾したことを言っていても、そこに共通のワードが存在することで、クトゥルフ神話作品として、それらはしっかりと結び付けられる。つまり“ネクロノミコン”という存在は、独立した作品たちをクトゥルフ神話に仕立て上げ、それらをつなぐカギとしての機能が持たされていると言えよう。
ラヴクラフトのうまかった部分は、“ネクロノミコン”に代表される架空の魔道書をいくつも作り、実在の魔術書、オカルト関連書籍、学術書などと混在させたことであった。
これによって、ネクロノミコンには非常に強いリアリティが持たせられており、実在の魔道書だと勘違いしている(した)人も少なくない。それが起因しては知らないが、コリン・ウィルソンのように“ネクロノミコン”を実際の書物としてでっち上げてしまう人まで登場したほどだ。
ラヴクラフトと仲間たちが作った魔道書には、“屍食教典儀”、“エイボンの書”、“ナコト写本”、“水神クタアト”など多数あり、そのそれぞれがあたかも実在する(した)もののように印象付けられているのは、ラヴクラフトが用いた前述の手法が、クトゥルフ神話作家たちに継承され、伝統のようにされているからである。
ネクロノミコンをどう扱うかが、作家の腕の見せ所
ネクロノミコンがそこまでのリアリティを獲得した背景には、最初から書誌データを含んでいたからだろう。これが、読書家たちを刺激した。
ネクロノミコンの原書とされる“アル・アジフ”はおそらくアラビア語で書かれていたが、ギリシア語版、ラテン語版と広がり、翻訳されるごとに情報が不完全になっていくという設定にも説得力があった。
ラヴクラフトの『ダンウィッチの怪』でも、作中で“不完全なゴールデン・ゴブリン・プレス版では、呪文の精度が信頼できないので、ミスカトニック大学図書館のラテン語版を借りようとする”という、この設定を活かした演出テクニックが披露されている。
このように、書誌データ(設定)があるからこそ、ネクロノミコンを作中でどのように登場させるか、どう表現するかというのは作家の腕の見せ所となっており、作家たちはそこで腕を競い合ったものである。
例えば、“ネクロノミコン”の原題が“アル・アジフ”ということで気づかれた方も多いかと思うが、この名前はクトゥルフ神話+ロボットバトルで話題になった『斬魔大聖デモンベイン』のヒロインの名前でもある。
つまり、彼女は外見10歳の幼女に見えて、1200年以上の年月を経た魔道書でもあったのだ。同シリーズのノベライズ外伝では、テープにドットを打ち込んだパンチカード機械語式ネクロノミコンまで登場している。
筆者(朱鷺田)も、ネクロノミコンと書誌データの話が大好きで、クトゥルフ神話TRPGの戦国サプリメント『比叡山炎上』を製作した際には、ケイオシアム社の『Secret of Japan』に登場した“黒蓮蟲聲経/Black Lotus Sutra of Insect Whisper”や、国産クトゥルフ神話小説に登場した“朱誅龍経/sh’ccht’lhu Sutra(別名“禁忌経典/Forbidden Sutra”)、“屍龍経典”をデータ化。
さらにそこに、オリジナル設定として、シルクロード経由で仏典に混じった説、フランシスコ・ザビエルが持っていた説、琉球王朝の秘伝説などを追加したものである。
このあたり、悪乗りがしすぎとも言えるが、そもそも、アルハザードという名前はラヴクラフトが少年時代、『アラビアン・ナイト』にハマって、知り合いにアラビア風の名前を考えてもらったものが、そのまま、設定に組み込まれているし、“屍食教典儀”の作者ダレット卿は、作家仲間のオーガスト・ダーレスの祖先の名前である。身内の面白がったノリがそのまま作品のキーワードになっているのだ。
リスペクトを込めて遊ぶのもクトゥルフ神話らしいのかもしれない。
文:朱鷺田祐介
【朱鷺田祐介(ときた・ゆうすけ)】
TRPGデザイナー。代表作『深淵第二版』、『クトゥルフ神話TRPG比叡山炎上』。翻訳に『エクリプス・フェイズ』、『シャドウラン20th AnniversaryEdition』。2004年『クトゥルフ神話ガイドブック』より『クトゥルフ神話』の紹介を始め、『クトゥルフ神話超入門』などを担当し、ここ数年は毎年、ラヴクラフト聖誕祭(8月20日)および邪神忌(3月15日)に合わせたイベントを森瀬繚氏と共同開催している。
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