七夕、その始まりは……?彦星と織姫のエピソードあれこれ【しゃれこうべが語る元ネタの世界 第37回】

2020-07-01 12:00 投稿

下半期、始まる

いやもう2020年も折り返しですってよ奥さん! もう7月! 早い!

今月発売のタイトルだとやはり、『ゴースト・オブ・ツシマ』が気になるところですね、えぇ!

ってのはさておき、今週もまたまた“元ネタの世界”!

今回は7月初週ということで、7月7日の七夕に披露できるかもしれない七夕の雑学、彦星と織姫のお話を数パターンご紹介します。

そう、彦星と織姫のお話にも意外といくつかバリエーションがあったりするのです。

んでは、いざいざ~!

【目次】
・もとは乞巧奠(きっこうてん)
・その1:伝言ゲームで大惨事
・その2:激おこにゃんにゃん丸
・その3:死がふたりを分かってから
・おまけ:夫婦喧嘩もあるでよ
・今度は星の神話のお話でも……?

もとは乞巧奠(きっこうてん)

7月7日の七夕と言えば、彦星織姫のふたりが年に一度の再会を許された日であり、人々は願いを込めた短冊を笹に吊るしてお祈りをする……、みたいなのが定番ですね!

20200630_七夕 (1)

いまだと願いごとなら何でもありな気もしますが、この慣習の原型とされている中国の乞巧奠(きっこうてん)は、読んで字のごとく針仕事などの巧みさを乞う行事だったそうな(奠は神仏にお供えものをする、などの意)。

6世紀なかごろに書かれた『荊楚歳時記』には、7月7日が牽牛(彦星)と織女(織姫)が会う日で、この日の夜には女性たちは7本の針に糸を通す、という記述があり、けっこうな古さの習慣であることが伺えます。

この『荊楚歳時記』が奈良時代のころに日本に伝わり、日本の行事と混ざったりしながら広まっていき、いまではすっかりおなじみの七夕になった、という訳ですね~。

では、そもそもどうして彦星と織姫のふたりが年に一度しか会えなくなってしまったのか、またそれがどうして7月7日なのか、などなどを伝えるエピソードを見ていきましょう!

その1:伝言ゲームで大惨事

まずは、『荊楚歳時記』に伝えられるものに近いパターンをご紹介です!

昔々、天上には牛郎織女というひと組の若く賢い男女がおりました。

ふたりが結婚するまでは、牛郎も織女も仕事に精を出し、牛郎は牛の世話を、織女は機織りを一所懸命にしていました。

あるとき、天帝(最高神)はふたりの健気な暮らしを見て、ふたりを夫婦にしてあげたのです。

20200630_七夕 (2)

ところが、結婚してからのふたりは、お互いに仲良くすることばかりに夢中になり、牛の世話も機織りも投げ出してしまいます

おかげで牛たちは病気にかかり、世のなかの布という布はボロボロになってしまうありさまです。

ふたりの怠慢はすぐさま知れ渡ることとなり、これには天帝もひどく腹を立て、使者の烏に伝言を託します。

「牛郎と織女は、今後は川を隔てて暮らすこととし、7日に一度だけ会うことを許可する」

このような言葉を託された烏でしたが、いわゆる鳥頭なのか慌てていたせいか、間違ってこのように伝えてしまいます。

「牛郎と織女は、今後は川を隔てて暮らすこととし、7月7日に一度だけ会うことを許可する」

20200630_七夕 (3)

こうして、烏の伝達ミスによってふたりは年に一度しか会えなくなってしまったのです。

七夕のお祭りの後になると、烏の羽根が抜け落ちてしまいますが、これは烏の間違いに怒った牛郎と織女がその仕返しに羽を抜いてしまうからなのです。

~ 完 ~

と、まさかの伝言ミスで会う頻度が週1から年1になってしまうというお話!

烏の換羽期が7月ごろから始まるというのもあり、羽根が抜け落ちる理由を説明する話になっているあたりもおもしろいですよね~。

その2:激おこにゃんにゃん丸

さて、お次も牛郎と織女の物語ですが、今度は天上ではなく地上でのお話からスタート!

昔々、唐の国に牛郎という若者がおりました。

彼は兄とその嫁と暮らしていましたが、ふたりは牛郎のことを邪険に扱い、彼にとって友と呼べるのは自分で飼っている牛だけでした。

ある日、兄は牛郎に別の場所で暮らすように言い渡し、牛郎は壊れた車と老いた牛だけを渡し、家から追い出してしまいます。

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さて、牛と暮らしていた牛郎でしたが、あるとき、唐突に牛が人語を発します

「明日の夕方、山中の湖で仙女たちが水浴びをします。

仙女たちが脱いだ衣服のうち、ピンク色のものを盗み出して隠れなさい。

そうすれば、衣服をなくした仙女があなたの妻となるでしょう」

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翌日になると、ことは牛の予言した通りに運び、牛郎は仙女を妻とします。

彼が妻にした仙女は、天上の王母娘娘(にゃんにゃん)の孫娘で、錦を巧みに織ることから、織女と呼ばれていました。

余談ですが、この王母娘娘は『西遊記』なんかにも登場する女神の西王母と同一の存在だと言われていますね! その孫娘ということで、織女もけっこう上位の存在なのやも……?

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結婚から3年の月日が経つと、ふたりのあいだには男の子と女の子がひとりずつ生まれます。

するとある日、牛が涙を流しながら、再び予言をしました。

「私はもう死ななければなりません。私が死んだら、私の皮を取っておきなさい。

何か緊急のことがあったときには、その皮を着こむのです」

と告げるや否や、牛は倒れ、命を落とします。

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その後、孫娘の織女が地上に逃亡していたことを知った王母娘娘は、天兵を遣わして織女を捜索させ、牛郎が耕作に出ているすきに王母みずから織女を連れ去ってしまいます。

これを知った牛郎は、牛の皮を着こみ、ふたつの籠に子どもたちをひとりずつ入れ、籠を肩にかけると織女を追いかけて天に上りました。

もう少しで王母娘娘に追いつく、というところで、王母娘娘はかんざしを引き抜き、後ろ手に線を引きました。

すると、引かれた線は天の河となり、牛郎の行く手を阻んだのです。

こうして牛郎と織女は天の河の両岸に立ち、いっしょになることができないまま星となりました。

のちに、王母娘娘はふたりが7月7日にだけ会うことを許可したのでした。

~ 幕 ~

ちなみにですが、牛郎が星になった牽牛星、いわゆるアルタイルの両隣りにはアルタイルよりもやや小さい星がひとつずつ並んでおり、このエピソードから見ると牛郎が連れて行った男の子と女の子もセットで星になっているっぽいですね!

ギリシア神話なんかもそうですが、星座の縁起話はなかなかおもしろいというか、星の並びからよくそこまでのストーリーが生まれたな感あって興味深いですね~。

その3:死がふたりを分かってから

さて、おつぎは“梁山泊と祝英台(しゅくえいだい)”と呼ばれるエピソード!

先ほどまでとは違い、こちらは地上がメインのお話になります。

昔々、中国のとある村に住む祝英台という娘が、村の外で学問にはげむべく、男装して家を出て行きました。

彼女は遊学先で梁山泊という男に出会い、意気投合したふたりはやがて、義兄弟の契りを交わすほどの仲となります。

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祝英台は梁山泊のもとで3年間勉強を続け、次第に彼女は梁山泊に心惹かれるようになります

が、一方で梁山泊は祝英台が女性であることに気づく気配もありませんでした

いよいよ祝英台が故郷に帰るというとき、彼女は梁山泊にこのようなことを言いました。

「私の故郷には、私によく似た妹がいるのです。君さえよければ、ぜひ妹と結婚してほしい」

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妹、というのはもちろん真実ではなく、それはつまり男装を解いた自分と結婚してほしいということだったのです。

祝英台が故郷に帰ってからしばらくした後、梁山泊が祝英台の家を尋ねると、見慣れた学友ではなく、その姿によく似たひとりの女性が彼を出迎えました。

ここに至って、梁山泊はやっと祝英台が男装していたことに気づき、別れの際に託された言葉の真意を理解したのでした。

再会を喜び、祝英台との結婚を望んだ梁山泊でしたが、すでに彼女には両親が決めた結婚相手がいたのです。

その結婚相手というのは富豪の家の息子であり、貧しい暮らしの梁山泊がいまさら祝英台を娶れるはずもありませんでした。

絶望した梁山泊は病に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。

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梁山泊の死を深く悲しんだ祝英台は、富豪と結婚する際に、ひとつの条件を出しました。

それは、嫁入りの輿に乗せた彼女を富豪の屋敷へと運ぶ前に、梁山泊の墓前を通ってほしいというものでした。彼女は最後の墓参りをしたいと願ったのです。

富豪がこれを許可し、いざ祝英台を乗せた輿が梁山泊の墓前に来ると、突然嵐が吹き荒れ、輿は止まらざるを得なくなりました。

そして、祝英台が輿から飛び出すと、墓前の地面が彼女を迎えるように裂け、大きな穴が開いたのです。

祝英台がためらうこともなく穴に飛び込むと、すぐさま穴は閉じ、あたりは静まり返ってしまいました。

やがて、梁山泊の墓から一対の鮮やかな蝶が飛び立っていき、その蝶は天へと上り、彦星と織姫星になったのです。

~ 完 ~

と!

こちらは死後にめでたく結ばれるという展開なんでございますね! ロマンチックさで言えばいちばん……?

おまけ:夫婦喧嘩もあるでよ

さて、今回紹介した3つの彦星&織姫談。形は違えどそれぞれ愛し合うふたりのロマンシングな感じでございます、が!

なかにはだいぶ印象が異なるパターンもあったりするので、それを最後にご紹介!

牛郎と織女は、ともに天上の星座でした。織女は玉皇大帝(別の時代の最高神)の孫娘で、毎日機織りに精を出していました。

彼女の織り出した草花を、牛郎が本物と勘違いして刈り取ろうとしたことからふたりは知り合い、恋仲となります。

やがてふたりは玉皇大帝の反対を押し切り、結婚して人間界に逃げていきました。

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しかし、結婚した後は織女が全く仕事をしなくなり、そのうちやってきた天上からの使いに手を引かれ、織女は再び天へと帰ろうとします。

これを牛郎は追いかけますが、追いつかれそうになった織女は、かんざしを振るって銀河や金河を作り出し、牛郎の行く手を阻みます。

牛郎はなんとか金や銀の河を渡って行きましたが、最後の銀河だけは越えることができませんでした。

怒った牛郎が牛の鼻輪を投げつけると、織女は機織りに使う梭(ひ)を投げ返します。

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牛郎が投げた鼻輪は織女のまわりの3つの星となり、織女が投げた梭は彦星のまわりの星となりました。

その後、玉皇大帝は7月7日にふたりが会うことを許可したのでありました。

その日には、最初にふたりの仲を取り持った金牛星のたのみでカササギが銀河に橋をかけるのです。

~ 幕 ~

こちらは夫婦喧嘩には投擲合戦がつきもの、というお話(?)にもなっているんですね~!

これだったら別に会えるようにしなくてもいい気がしますが!

今度は星の神話のお話でも……?

ってことで、今回は七夕にちなんで彦星と織姫のあれやこれやをご紹介でしたよ!

ロマンがあるんだか俗っぽいんだかでしたね、まったく!

さて次回ですが、せっかくなのでつぎも星にちなんだ神話なんかに触れていこうかな、と!

ただし予定は未定、しれっとぜんぜん違う話になっていてもそこはご容赦をば、でございます。

したらば、寝つきも悪くなってきた夏の夜に苦しみつつ、また次回~!

文/しゃれこうべ村田(@SRSWiterM

参考文献

小南一郎(1991)『西王母と七夕伝承』平凡社.

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