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スクエニ安藤ブログ“スマゲ★革命 シーズン2” 第六回 「奇跡の対談 第1章 『僕たちのゲーム史』著者が語る”ゲーム”とは」

2013-06-07 19:05 投稿

 

●マニアックだからこそ熱い!

このシーズン2では、安藤氏のいつものブログ以外にも、安藤氏が個人的に気になる方との対談企画をお届け。今回の対談相手は、スマゲ革命シーズン2 第一回目で安藤氏が大絶賛した話題の書籍『僕たちのゲーム史』(星海社)の著者としても知られる、ライターの”さやわか”氏。ゲームに対する造詣の深さもさることながら、ライター業の中で蓄えられたサブカルチャーに関する知識も豊富とあり、安藤氏とかなりマニアックなトークをくり広げてくれた。まるで無邪気な子供に戻った大人たちの対談を3回にわたってお届けするぞ。お二人のディープなゲーム談義にキミはついてこれるか!?

【まとめ】スクエニプロデューサー安藤 武博氏のブログ“スマゲ★革命”

 

▲おなじみ安藤氏(左)とさやわか氏(右)。今回の対談は新宿にあるゲームバー”16 shot”にて開催された

 

●当時を知っているからこそ書ける本『僕たちのゲーム史』

安藤 これまで、「ゲームの著作はたくさんあるけれど、ちゃんとしたものが少ないよね」という話をいろいろな人としていました。「映画業界や小説家、漫画家を目指す人にはちゃんとした本が出版されているのに、そういったゲームの本が出てこないね」と。僕が子どもだった時代には、すがやみつるさんの『こんにちはマイコン』というとてもよくできた入門書がありましたけれど、最近はそういった本もなかなか見なくなりました。そんな中、幸運にも見つけたのが、『僕たちのゲーム史』なんです。この本を読んで嬉しくなったのと、よくゲームの歴史を研究されている本なので、是非みなさんに知っていただきたいと、今回対談の席を用意させていただいたわけです。まず、この本のスゴイところは、ゲームを作っている当事者でない方が書かれているのにクリエイターにも納得ができる内容になっているところです。当事者でない人が書かれた本は、当たり前ともいえますが現場っぽくないというか、批評家視点で書かれており、意見が偏っているものがほとんどです。しかし、この本は冒頭からフラットであり続けようという姿勢が見えて、それが貫かれている。あれもこれもと範囲をひたすら広げて書くのではなく、最初にしっかり定義付けと範囲決めをしてあるから読みやすいしわかりやすい。冒頭での定義付け、範囲決めをきちんとするというのは良いゲーム作りに通じているところもあるので、そういった点から見ても読んでいて面白かったです。経験の浅いゲームクリエイターは、アレもコレもと手を広げすぎて「なんでもできるはなんにもできない」という事がままあるので、若き日の自分の過ちというか、そういったことも思い出しました(笑)。

さやわか ありがとうございます! まさか、そこまで意図を汲んでいただけているとは思いませんでした。この本を書こうと思ったとき、選択のひとつとしてアレもコレも扱うという方向性もあったのですが、やはり「そうしてしまうと書き切れないな」と思いまして。「全何巻構成になるんだこれ?」みたいな(笑)。かつ、ただ思いつくままに歴史を書いただけでは、何を書いたとしても読者の方から「自分の記憶と違う」という声が出てくると思ったんですよね。「著者自身のゲームに対する記憶を語る」という本はたくさんあるんですが、それだとそうした批判をまぬがれない。だから、全く違ったスタンスの本を書こうと思いました。本を書く上での資料として、当時のゲーム雑誌を使うというのは、この草案のときに決めた方針ですね。著者自身の記憶に頼るのではなく、過去の資料を提示しながら話を進めるわけです。それに僕は昔からゲーム雑誌が大好きですから。というのも、僕は小さい頃に、ゲームを買ってもらえなかった派の人間でして。少しでもゲームに近づこうと、ゲーム雑誌を読んで、その楽しさを想像していたんですよ。当時のゲーム雑誌を資料として扱ったのは、そういった一面もあります(笑)。

安藤 分かります(笑)。僕もファミコンを買ってもらえなかった派ですので。僕が最初に買ってもらったゲーム機はMSX。ゲーム機というか8bitのコンピューターでしたね。たしか10歳のときでした。

さやわか 僕も、10歳のときに8bitパソコンを買ってもらいましたよ。シャープのX1でした。

安藤 同世代なんですね。『こんにちはマイコン』とか、子ども新聞に載っていた、BASICのプログラムコードを丸写してゲームやプログラムを作ったりしましたよね! 今考えるとスゴイことですよね。10歳くらいの子供が丸一日かけて、シンタックスエラー(※注1)を吐きだしながら、デバッグをして、コードを走らせるなんて、今では考えられませんよ(笑)。

さやわか 確かにスゴイ時代でしたね(笑)。逆に進歩的ですよね。

安藤 言ってみれば、ただ作るだけなら子供でもできることなんですよね。ゲームは、どれだけ機械や技術が進歩しても、その実はただのインプットとアウトプットでしかありません。なので、僕たちは小さい頃からそのプリミティブな部分を体験できた、ラッキーな世代だと思います。ゲームが作れるという感動や驚きも小さい頃から体験できましたし。

さやわか そうですね。僕は、『僕たちのゲーム史』の中で、「ボタンを押したら反応するものがゲームだ」という定義付けをしているのですが、その根底にあるのは、あの頃に感じた感動があってこそですね。初めてパソコンに触れたときは、キーを押したら画面に文字が出るということに感動を覚えたものです。

安藤 懐かしいですね。話を戻しますけど、最初は、この200数十ページの中に、きちんと整頓されたゲームの歴史が、ここまでしっかり書かれているとは思いませんでした。正直、なめていました。スミマセン(笑)。ゲーム関連の本はたとえば「ゲーム101の謎」とか書かれていて、中身を見てみたら1タイトルの掘り下げが浅く、ひとつも謎が書かれていないものであったり、あとは先にも述べた、偏った意見がまとめられた本ばかりでした。なので、本書にはいい意味で裏切られました。裏切りを受けた瞬間は、とても嬉しかったです。偶然書店で見つけたのですが、この本に出会えて本当によかったです。

▲「一度会って話がしてみたかった」と言っていたこともあり、さやわか氏に対して想いをぶつける安藤氏

 

さやわか じつは、そういった反応も狙っています。最初に『僕たちのゲーム史』というタイトルを見た人には「自分語りをする本なのかな」と思う人と「あ、俺の話をしてくれるのかな」と思う人の二通りがいると思います。でも、蓋を開けてみるとそんなことはなくて、“個々の僕たち”の話しかない著者である僕自身の話ではもちろんないし、特定の誰かが深く共感できることばかりを書いたものでもなく、あくまでも”個々の僕たち”ですね。そんな“個々の僕たち”が集まっているという形にすれば、一番多くの読者に訴えかけられる気がしたんです。それでこの本に『僕たちのゲーム史』というタイトルを付けました。帯にある煽り文句の「スーパーマリオはアクションゲームではなかった!」というのも、その“個々の僕たち”にとってエピソードとして語られるもののひとつです。それに共感できない人がいて、「なんだこの本は?」と思ってほしかったんです。まぁようするに、「こう書いておけばみんな読んでくれるだろうな」ということでもありますけれど(笑)

安藤 確かに、僕もその文句に煽られて手に取ってしまいましたから、狙いは大成功ですよ(笑)。さらに「この本はスゴイ」という話を続けますね。僕は、「ゲーム史という歴史ジャンルを、体系を作って語るには、やはり当時を生きていた人間が当時のメディアを読み漁るしかない。そうでないと、当時の空気を切り取り、その時の雰囲気がちゃんと出せない」と思っていました。この本は、それをしっかりやってくれているので、それがまずスゴイ! きっと当時を知る人がこの本を読んだら、タイムスリップしたかのような感覚を得たり、走馬灯を見ているような感覚が味わえると思います。1984年か1985年くらいにファミコンは一度閉塞的な状況を迎えていたりとか、パソコンゲームのほうが圧倒的に面白いとされていた時代があったといった、当時を知っている人でないとわからないことがたくさん書かれています。

(注1):プログラム上で定められた構文規則を満たさないと発生するエラー

 

●“現在”からではなく、“過去”に立ち返り歴史を紐解く

さやわか 本当に僕の意図をすべて汲んで読んでくださって、ありがたい限りです。人間は、年月を経るごとに記憶を美化していってしまいますからね。ファミコンが社会現象を起こし、その爆発力を維持したまま今のゲーム業界が作られたという、今の若い世代が持っているであろうイメージも、そのようにして作られていると思います。資料を使うことで、そういう漠然とした思い込みをくつがえしたかったんです。

安藤 確かに、美化してしまいますよね。それに、忘れてしまっていたこともたくさん書かれていて「確かに、『高機動幻想ガンパレード・マーチ』(注2)はBBSがめっちゃ盛り上がってたよな」というくだりは、あの当時のことを鮮明に思いだしました。確かに熱狂していたプレイヤーは、一生の思い出になるくらい、のめりこんで開発者とBBSでやりとりをしていましたよね。

さやわか 実は僕も、書きながら自分の思い込みや記憶の美化に数多く気づかされましたよ。「アレはこうだったよな?」と思って調べてみると実際には、まったく異なっていたりしました。書こうと思っていたエピソードが記憶違いだったりして、丸ごと使えなくなってしまったこともあります。

安藤 本当にゲームの歴史が感じられる、歴史考証がしっかりなされた本だと思います。歴史の紐解きかたも、ただ紐解くだけでなく、その根底にあるものを追求していたり、当時子供だった頃はわからなかった本質をちゃんと究明して解説していたので、そこも読んでいて面白かったです。たとえば、『ゼルダの伝説』の続編である『リンクの冒険』が発売されたときに、なぜ横スクロールのゲームになったのか? とか。この本では、それについ「宮本茂さんは、新しいものを次から次へと作らないとダメだという信念を持たれていて、つねに次のステージへ行きたいと思っていたから、横スクロールを採用したのではないか」と述べていますよね。当時はわかりませんでしたけれど、僕はこれを読んでスゴク納得できました。『スーパーマリオ』は今でこそアクションゲームというジャンルに位置していますが、当時は「なんでもできるアドベンチャーゲーム」のような捉えられ方をされていましたし。だからこそ、宮本さんは、『ゼルダの伝説』をテーマに横スクロールの遊びを提示すれば、正当進化系として受け入れられるのではないか? 思ったんだなと。その結果、当時の僕たちは「なんで横スクロールなんだ?」と新しすぎて混乱を受けましたけど(笑)

さやわか 今のものの考え方だと、昔のゲームで遊んだとしても「これはクソゲーだったよね」とか「これは売れたよね」ぐらいしか言う事がないのです。あくまで現在の視点から見て「歴史的に重要なゲームだ」などと言って価値を与えてしまう。「なんでこんなゲームを作ったのか?」というところには触れないことがほとんどなんです。しかし、やはりゲームが生まれたということは、その背景には意味や意図があるはずです。僕は、そこを当時のゲーム雑誌などの資料を見ながら推定して、この本に記しました。逆に言えば、それぞれの作品の質や思想については否定も肯定もしていません。当時そこにあった事実と、そこから導き出される推論を述べているだけなのですが、そこにはきっと今のものの考えかただけでは出てこない話が多く記されているので、これから読むという人にはそこも楽しんでもらいたいですね。

安藤 否定と肯定がないというのは、すごくフェアだし、作り手に対する尊敬の念が見られます。だからこそ、『僕たちのゲーム史』は、しっかりとしたゲーム史の本になっているのですね。

 (注2):SCEから2000年にリリースされたシミュレーションゲーム。

 

●黒歴史など存在しない

安藤 今の時代は、誰もが全世界に向けて情報を発信できるという環境があります。ぶっちゃけるとTwitterや2ちゃんねるのことを言っています。情報を発信して拡散させているという特性上、Twitterや2ちゃんねるもひとつのメディアと言えるでしょう。しかしこれらのメディアは、分別が分かっている人と分かっていない人、冷静に批評をする人とただ文句を言いたいだけの人が統一のフォーマットで情報を発信しているため、その中身は当然グチャグチャです。とくに今の日本のインターネット上には、匿名で批判して盛り上がるという風潮があるので、どうしても批判記事が多いし、よく目に止まります。まとめサイトで「【悲報】○○○○○」という記事を読んで、「確かになー」と楽しんでいる自分もいるのですが、揚げ足を取るばかりなのは、少し悲しい現状ですよね。もし、先ほど話にも上がった横スクロールの『ゼルダの伝説』が出た時代に今の環境があったら、「【悲報】セルダの伝説、横スクロールになる。」みたいな感じで、荒れたスレッドも立ったのではないかと思います。そもそも『ゼルダの伝説』は、謎が解けるまでが長く、寝て起きたら、解法がひらめくこともありましたから、当時Twitterがあったら、謎が解けなくてイライラを感じたときに、罵詈雑言を書きまくるとか、ファミコン時代の難解なゲームの多くがそうなっていたかもしれません。でも、当時はそういったメディアがなかったから、とりあえずプレイをしてみて「あ、やっぱりゲームってスゴイ」と思ったり、「このゲームが理不尽に難しい、面白くないと感じたのは、もしかしたら僕だけなのかな」と思って終わり。自己完結していましたよね。今は瞬間の怒りをアウトプットできて、なおかつそれを共有できてしまう。今の殺伐とした空気は、そのように作られているのではとも感じています。ゲームはそもそも娯楽としてあるものなので、作り手側としては、批評や批判をする前にまずは遊んでもらいたいんです。最近は愛があってもまずはディスったり、とにかく今はダメ、昔はよかったという風潮を感じていたので、今であろうが昔であろうが徹頭徹尾ゲーム愛に溢れている本著を読んで、久々に心のバランスを取り戻しました(笑)。まとめサイトなどで「昔のスクウェア、昔のエニックスはよかった。どうしてこうなった」という事が書かれているのを見かけますが、『僕たちのゲーム史』を読んでから今のスクウェア・エニックスを見ると、おおざっぱにいうと実は昔も今もそんなに変わってないというのが分かるんですよね。私は過去のレジェンドに比べるとまだまだのクリエイターなので、そんなに大それたことは言えないのですけど、それもすごく面白かったです。

さやわか あはは(笑)。クリエイターは、いつの時代も、自分たちが最適解だと思っているものを発信しているだけですからね。そういった意味での変化はしていないと僕も思います。それと、ネットでのユーザーの反応については、僕も似たようなことを感じます。なので、『僕たちのゲーム史』は、「昔のゲームを愛しているなら、今のゲームも認めなくてはならない」という形で終わるように作りました。ネットのコミュニティで新作ゲームをこき下ろしている人には、かつて自分が遊んだのと全く違うゲームばかりになったと思い込んでいる人も多いと思うんですよ。でも昔のゲームの流れは潰えてしまったけれど、その思想はバラバラになりながらも今のゲームの中に息づいている。それをみなさんに気づいてもらいたかった。

安藤  みんなの記憶の中に、大きな成功だけがクッキリと残っているだけであって、今も昔もみんな失敗と成功を繰り返していることは実は変わらない。

さやわか そうそう、本当にそうですよ。だからこそ、昔はよくて今はダメということなんて一切ないのです。だから、僕は“黒歴史”という言葉が嫌いですね。歴史には黒も白もない。売れなかったゲームがあるとしても、そのときはそれがベストだと思ってやったけれど、結果として受け入れられなかったというだけなんです。

安藤 僕も、ドン滑りしたゲームをいっぱい作りましたけれど、いまだにどれも大好きです。“黒歴史”とか“オワコン”という言い方がありますが、これらのワードはただ一言でさまざまなことを包括できる便利な言葉になっているので、自分の中で一度リセットして情報に接したほうがいいかもしれません。確かにそのようにスレッドを立てたり、まとめたりすると反響があるし沢山の人が目にするかもしれません。アフェリエイトをやっている、まとめサイトの管理人にはいいかもしれませんが、そのゲームは本当に悲報なのか? 黒歴史か? オワコンなのか? という本質はボやけがちになります。むしろ悪くないのに、断片だけ理解して悪いと思ってしまう人も多いでしょう。もちろん中にはホントに悪いことも沢山ありますけどね。“ヤバイ”という言葉もそうですよね。「いい意味か悪い意味かどっちなんだ」というのがパッと判別しにくい。曖昧なまま、本質から離れて話は進んでいってしまう。

 

●今も昔も大きくは変わっていない

安藤 本書にはアーケードゲームが社会悪として見られていた時代の話が書かれていますよね。それを打破するために、各メーカーが大型筐体を作ったり、UFOキャッチャーを作ったり、試行錯誤をしたと。そして、ゲームセンターは悪いところではない、楽しいオープンスペースなのだと、ゲーム業界が偏見やイメージと戦ったと。そうやって、昔のゲーム業界は、さまざま問題を乗り越えてきていますよね。去年もソーシャルゲーム会社が同じように消費者庁と対峙しましたね。そうして、ゲーム業界はずっと生き残ってきたわけですが、今後はどうなるのでしょう? 今もソーシャルゲームはガチャなど課金のありかたをはじめとして、問題は山積みですが。

さやわか 乗り越えられますよ。この本を書いて、歴史を見直してみて分かりました。時代の節目節目には、「これさえあれば大丈夫!」というものが絶対に現れますから。ドカーンと来るものがあれば、きっと大丈夫です。

安藤 そうなると、やはり真似ばかりではダメですね。さやわかさんの本で書かれている歴史を見ればわかりますけれど、時代を変えてドーンと当たるものは、決して真似からは生まれていない。しっかりと正当進化を遂げて新しい遊びを提供しているものであったり、これまでにないまったく新しいものの登場が時代を変え、大きなヒットになる。プレイヤーやお客様は正直ですから、今もガワだけ変えて量産されているカードとガチャを使ったソーシャルゲームに対して「真似ばっかりじゃねぇかよ!」と声を上げはじめています。新しいものを作るには困難が立ちはだかりますけれど、前向きな知的生産労働の積み重ねと新しいアイデアにより、次の時代が作られていくという流れは変わらないし、それがずっと続いていくというのがゲーム史です。それをフラットに再確認できるので、業界のみなさんにも、『僕たちのゲーム史』はおススメです。それにしても、めっちゃセールスしてますね、僕(笑)。でも、真似してもいいじゃんと思っているソシャゲ業界の方には特に読んで欲しいんです。真似はほんとに閉塞するから!

さやわか 歴史は雄弁に語りますし、「これからは真似でオーケーになりましたよ」ということになるはずもありませんからね。『ぷよぷよ』は、出た当時「なんだよ真似かよ」という声も聞こえていましたが、でも実際はそこにちゃんと新しい要素を追加して、正統進化させたものでしたからね。だからこそ一時代を築き上げて、今もなお愛される作品になっている。イノベーティブなものが出てこないのではないかと、不安がる必要もないと思いますよ。「もうゲームは終わったよね」とか「このジャンルはもう終わりだ」という話は、1984年から言われ続けているものですから(笑)。

安藤 なるほど。「最近の若者はなっとらん」という言葉が紀元前から使われ続けているのと一緒ですね(笑)。そうなると、今のソシャゲ業界がやっている真似まくる事で編み出す、こまかなアレンジや改善も未来につながるかもしれませんね。確かに、良質な真似に限っていえばそうですね。真似すんなばっかりいってスミマセン(笑)。でも同じことばっかりだとダメなのは間違いないので、新しいアイデアや遊びも生み出して行きましょうね。(つづく)

 

『僕たちのゲーム史』の内容にふれつつ過去のゲーム史をふりふり返った本対談。第2回目では、昨今のソーシャルゲーム業界の話から、あの不朽の名作(?)『マインドシーカー』の話まで、よりディープな対談をお届けしていくぞ。また、今回の対談を読んで「『僕たちのゲーム史』が気になる!」と思う人がいたら、ぜひ購入してもらいたい。ゲーム好き、業界人必読の一冊だ!

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●安藤氏からのお知らせ

『拡散性ミリオンアーサー』の現状とこれからについて、安藤氏とプロデューサーの岩野氏、声優の明坂聡美さんでお話しをされるインターネット生放送の日程が決定したぞ。

日時:2013年6月11日(火)開演:20:00~

生放送のページへはこちらから

「1時間でできる限りのことをお話したいと思っていますので、よろしくお願いいたします!」(安藤)

 

■著者紹介

安藤武博(あんどう たけひろ)
スクウェア・エニックス 特モバイル二部 ジェネラル・マネージャー兼プロデューサー。ゲームプロデューサーにして、同社のスマートフォンアプリ制作の中核を担う人物。早くからスマートフォン事業に携わってきたことから、アプリに対してはすでに確固たる理論を構築している。それでいて、つねに新たなステージへのチャレンジを忘れないスマートフォン業界の革命児。

 

 

【まとめ】スクエニプロデューサー安藤武博氏のブログ“スマゲ★革命”

 

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今回の対談相手は、『ドラコレ』の生みの親である兼吉完聡氏!
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