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尾崎紅葉 声: 緑川光
武器 派閥 尾崎一門
代表作 多情多恨 金色夜叉
回想 金色夜叉 高野聖 金色夜叉

紅露時代と言われ、双璧をなした小説家の一人。世話好きで何事にも動じない好人物だが、それは数多くの弟子を育ててきた自負から来るようだ。現在は泉鏡花や徳田秋声を温かく見守っている。そんな彼だが食に対しては一言あるらしく、このみにあわないものはぜったいにたべようとしない。意外にも悪戯好きな一面がある。

モデルになった尾崎紅葉はこんな人!

筆名:尾崎紅葉
本名:尾崎徳太郎
出身地:江戸芝中門前町(現・東京都港区芝大門)
生年月日:1868年1月10日
没年:1903年10月30日(満35歳没)

生涯

幇間で根付師の尾崎谷斎の子。尾崎は父の職業を恥じており、決して他人に教えようとしなかった。

母と死別した後は母方の荒木家の祖父母の手で養育され、親戚の横尾家からの援助を受けて東大予備門に入る。

1885年に硯友社を結成し、回覧雑誌『我楽多文庫』を発刊。さらに1889年には『二人比丘尼 色懺悔』を刊行して、一躍流行作家として脚光を浴びる。

一方で帝国大学法科大学政治科に入学するが、こちらは数年で退学し、読売新聞社で職業作家としての道を歩み始めた。

この時期には幸田露伴とともに明治期の文壇の重鎮となり、紅露時代を築いた。

以降も『金色作家』などで好評を博するが、病弱な体に無理がたたり、35歳の若さで胃がんのため病没した。

作品の特徴

「吁、宮さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。

来年の今月今夜は、貫一は何処どこでこの月を見るのだか! 再来年の今月今夜……十年後のちの今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!

可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」(『金色夜叉』より)

20代にして多くの門人を抱え、尾崎派を抱えるようになった明治文学の大家。

セリフは口語体、地の文は文語体という当時としては斬新な表現を用いた。

井原西鶴を思わせる風俗描写を盛り込んでいる点も、当時の急激な欧化に反発を覚える文士に脚光を浴びた。

その一方で物語の筋立てやテーマ自体は元禄期の物語とさほど変わることはなく、いわば装いを当世風に変えた古典ということで擬古典文学と呼ばれることもある。

いずれにしても元禄期から近代へと移り変わる中で、重要な役割を果たした文豪である。

人間関係

【泉鏡花】【徳田秋声】

弟子。

門人の中でも泉鏡花、徳田秋声、小栗風葉、柳川春葉の4人は四天王と呼ばれる。

泉鏡花からは崇拝といっていいほど尊敬された。

【幸田露伴】

同時代の文壇の人気を二分した作家。

府第二中学時代の同級生でもあるが、当時の親交は薄かったという。

趣味・嗜好

【江戸っ子】

江戸っ子そのものの気風でとても短期で、弟子たちにもよく小言を言っていた。

その小言は口の悪さと諧謔性が入り混じったとてもおもしろい内容で、弟子たちはとても感心したという。

その半面で弟子たちにやさしく親身に接したのも事実である。

自身の臨終の席に集まった人々の泣き顔を見て、「どいつもまずい面だ」と言ったという逸話が伝わっている。

代表作

『多情多恨』
妻を亡くして落ち込む教師の鷲見柳之助と、親友によって命じられて彼のめんどうを見ることになったお種の間の恋を描く物語。

『源氏物語』に着想を得て執筆された。

『金色夜叉』
間貫一とお宮は許嫁であり、深く愛し合っていたが、宮は突然心変わりして富豪に嫁いでしまう。

激怒した貫一は復讐のために金の亡者となり、高利貸しとなる。

悲恋物語として何度も映画化された。

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